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 古来より、その効能が認められ、多くの人々が入湯に訪れた草津温泉。湯治のために、長期滞在をし、「時間湯」という方法で、その病を治して行きました。江戸時代には、徳川将軍の耳にも、草津温泉の効能は伝わり、お汲み上げを致しました。歴史は変わり、第二次世界大戦後、草津温泉は観光としても、繁栄し、現在に至っております。
 観光としてお見えになり、お泊りになられた宿の温泉に入る。そんな現在の入湯方法に加え、古き良き時代の入湯方法を再現しようと、12軒(現在は、14軒)の、しにせ宿が集まり、各お宿の温泉を、日帰りで入湯できる「内湯めぐり」を、昭和59年に開始しました。そして、その14軒の、しにせ宿を総称して、「和風村」と、名付けました。

 

 草津温泉の開湯伝説は、「古事記」「日本書紀」で活躍する伝説の英雄、日本武尊が、大和時代東征の折に発見したとされるもの。養老5(721)年、 大和の菅原寺の僧行基がこの地を訪れて、神仙の啓示によって霊泉(すこぶる効き目のある泉、という意味) をひらいた、とされているもの。そして、建久4(1193)年8月、源頼朝が浅間山での狩りの際、発見したとされるものがあります。
 中でも、行基は、薬師堂(現在の草津山光泉寺内)を開基し、その薬師堂は、日本三大温泉薬師(他に有馬温泉など)の一つとして、呼ばれました。湯治客は、その薬師堂にお参りし、その年の開運と健康を祈願したのです。
 このように、草津山光泉寺と草津温泉の関わりは、深く、その歴史を重んじ、和風村の「内湯めぐり」の際には、「薬師講」と云いまして、まず最初に、草津山光泉寺「薬師堂」にお参りして頂いております。

 

 養老5(721)年、 行基が薬師堂を開基したのち、白根明神の別当寺として正治2(1200)年、草津領主湯本氏が、光泉寺を再建したと言い伝えられています。
 光泉寺僧職は鎌倉幕府から地頭職を賜い、寺領として白根圧の領有を許されていました。鎌倉幕府滅亡後は、南朝に仕え、北朝に仕えました。文明13(1481)年、近衛道興の斡旋によって「勅願寺」となった後も、湯治として、天正15(1587)年に草津温泉を訪れた、近衛龍山(安土桃山時代の公家。戦国時代の公卿の名門、近衛家の出身で、 右大臣、左大臣、関白等を歴任)らの宿所でもあった。近衛龍山は、その時の感動を10首の和歌に残し、薬師堂に奉納しました(巻物は、 草津山光泉寺に所蔵。)十首目に温泉薬師を讃えて詠んだ「むすふてこの谷かけの出湯こそ、むへも老いせぬ くすり成けり」という句が、 戦国期においても、草津温泉が不老長寿の湯として広まっていたことを表しているとされています。
 
釈迦堂
 
元禄16(1703)年、草津山光泉寺境内に、江戸の医師外嶋玄賀宗静の発願により、建立されました。施主は草津村湯本弥五右衛門。この本尊は奈良東大寺公慶上人の作。東大寺大仏修造に貢献のあった玄賀に、上人が大仏内腹の骨木をもって2体の釈迦像をつくり、その1体を賜ったとされています。
 内湯めぐりで、薬師堂をお参りされる時には、こちらの釈迦堂も、お参りして下さい。

 

湯浴み弁財天
 
「湯浴み弁財天」がまつられている池は、「慈悲の泉」と名付けられ、行基が万病に効くと見出した池で、草津温泉の源となりました。名湯草津温泉に浴し、見も心も清浄になった喜びと感謝の姿を表しています。
 御開帳は、5月7、8日。8月16日。10月8日。

 

初代熱の湯・湯長野島小八郎の碑
 
野島小八郎は、越後の人で、明治11(1878)年に草津温泉へ来浴し、2年後に、初代「熱の湯」(現在は、湯もみの観覧施設)の湯長となり、31年間、湯治客の為に心身をつくしました。「時間湯」の確立に残した功績を讃え、碑を建立しました。

 

入浴逝者供養塔
 源頼朝の入湯以来、湯治中に亡くなられた人々の霊を供養し、明治38(1905)年に、湯治客の人々が建立して下さいました。

 

大切な湯治客
 「死んでもいいから草津の湯」と云われていた程、重い病を患っていた人でも、最後の力を振り絞って、湯治に訪れていました。けれども、現在程は、医学は進歩していない当時、残念ながら、命を落とされてしまった方もおりました。そんな方の中でも、身元がわからない人がいた場合、光泉寺では、飛脚を走らせ、できるだけ、身元を判明させようと、努力していました。

 

 体質改善・刺激療法として時間湯という入湯方法が行われていました。タダレを出すという、やり方で、当時(江戸時代〜昭和・戦時中)においては、 あらゆる病気に最適とされ、心臓病・リュウマチ・結核・性病等々、 患った者は、時間湯によって、完治したと、云われております。
 最初に、湯長の診断を受け、まず、湯揉みをする。(この時、温度52〜56度) また、唄をうたうことで、蒸気を吸い込み、全身から汗を出し、準備運動をする。 これにより、温泉ガスの成分(硫化水素)を撹拌させる。 入湯前に、頭にひしゃくで、30杯ほどの湯をかける(この時、温度47〜49度)。 これは、頭の血管を膨張させて血液の流を良くさせておき、更に、のぼせないように するため。(後頭部には、かけないでおく) そして、一斉に集団で浴槽に入る。3分経ったら、一斉に出る。 これを、一日5回くらい、時間を決めて行う。 それを、何ヶ月か、病気が治るまで繰り返しました。
 その時間湯は、熱の湯、松の湯、千代の湯、鷲の湯、地蔵の湯、 そして旅館・望雲館で、行われ、各温泉には、入湯方法を指導する湯長がおりました。その湯長の号令に指示に従い、入湯を繰り返したのですが、湯長も、健康状態の良い人を見極め、先に入湯させたり、入湯中も、具合が悪くなった人はいないか、 全員に目を配ったりしなくてはならないので、責任重大でした。湯長の長年の経験と、実績から、初めて入湯する人を見ただけでも、 どのくらいの期間入湯すれば、完治するか、日に何度入湯したらよいか、 判断できたので、まるでお医者さんのようでした。

 現在、時間湯を行っているのは、「地蔵の湯」「千代の湯」だけになってしまいましたが、今も尚、利用することができます。時間湯としての入湯には湯長の許可が必要で、少なくとも1週間程度通う必要があります。療養目的の施設であるので、観光目的の体験入浴や見学はお断りさせて頂いております。また、「テルメテルメ」では時間湯体験が可能です。
 「熱の湯」では、当時の湯揉みのみを再現し、観光客の方々に、観覧して頂いております。